枯れてみて、初めてわかる
孤独と哀しみ。あぁ~...余生なう
クリニックのブログに高倉健さんの「唐獅子牡丹」を載せらた、アタマの中を「義理と人情を秤にかけりゃー」って歌詞がグルグル、「背中(せな)で吠える唐獅子牡丹」ってサビがカッコいいー!!!、エエわ、健さん…..そこで我が身を振り返る→→→
映画では「義理」を重んじ組織の規律を優先していました。が、僕自身の30年以上の医者稼業を振り返ると、「人情」を優先しちまったかなぁ~。甘かったなー、トロかったなーー。確立された医療みたいな権威業界で人情を取ったら痛いめにあいまんネン!。。。な.の.で….これからは建前と本音だと、建前を最大限優先して楽に生きていくのが余生だぜぇ~
ASTON MARTIN DB9
枯葉に佇む
テケトーさ
足腰は、吹けば飛ぶように老化しております。いつまでこの商売やろかな、って還暦になったのにイメージがぜんぜんわきません。
Shin Takuma
卓馬 紳
7年前の自撮り写真です。その後、このイメージが有名になっちゃいましたけど、いつも帽子を被っているわけでも、被りものが好きなわけでもありません。
いちおう、このサイトは非公式なので、あっかんべぇ~ の舌(ベロ)は、敬意の表して有名なアインシュタインの写真から拝借しました。
難度高めですが、抄稿 Takuma’ King はこちらから
世界はわたしの表象である
“意志と表象としての世界”
一冊の本タイトルと、
文頭の最初のフレーズ「世界はわたしの表象である」。これだけで歴史を変えた書物は他になし。
なりたかった職業
演劇の演出家
1980年頃って、まだ日本に熱気があったし、突き抜ける躍動に憧れても、同調してくれる仲間もいたけど、自らが調和に未熟だった。
令和の心得(こころえ)
アホとバカの区別
最近、なるべくアホとバカ、この2つのワードを使うようにしています。遠慮なく、この違いを意識して処しています。
自己分析:60歳をちょうど20年で3区切りすると、世界がどう自分の表象であったか回顧できます。
01. 20歳まで
中国期:激動で揉みくちゃな中国の影響を、日本で生まれているのにモロに浴びる。レジスタンスなロマン派になってもーたなぁー….
02. 20~40歳
アメリカ期:医学、それも心臓専門だったので、世界の心臓病の中心かつ絶頂期だったアメリカにどっぷり。ニューヨークにいられたのはラッキー!!!
03. 40~60歳なう
日本期:帰国後、村社会で生きてる家畜の群れに埋もれ、たまに水面に上がるクジラの如く中年から老後に至る。
ご苦労さまでした
僕は、フェラーリよりこのアストンマーチンDB9が、かっちょイイって思ってるんっすよ。
この頃の、たくジジィ~は…..
この30年来のインポテンツである小説が読めないことが継続中。ストーリーに没入できなくて、逆に難解きわまる哲学書ばかり読んでいたのが不能になった原因か、、、、
無趣味をなんとかしたい
盆栽でもイイと思うんだけど、還暦のジジィ~が無趣味って哀愁ですよ、みなさん。テニス、ゴルフ、海モノとかのミーハースポーツはやってたけど、ボッチのジジィ~だと今ドキないんですよ、良き趣味。
単調な毎日
実際、月曜から土曜日まで働いてそんなに苦じゃないし、仕事もまぁーまぁー好きだし、が単調を招く。ドラマチックなナンチャラはお腹いっぱいなので平々凡々に憧れてもいるから、ま、いっか。
クルマが趣味、ではないんすよ
センセー、クルマが好きなんでしょとよく言われますが。が、が、今回はエンスーのヒトになる意向です。エンスーってなんやねん、ぐらいのレベルでしたが、今では中級エンスー者で、キャブレターを語ります。
SNSの双方向を拒絶
根本的にはSNSのインターアクティブとか双方向性とかのインチキは嫌いなので使いません。なので、きちんとバカにはバカ、アホにはアホと言います。同意も反論も賞賛も不要です。大事なのはモノローグ、もしくは盲目。
ハゲにならずに済んでる
父が薄い系で天然パーマ(天パー)がありました。僕も20歳ぐらいから天パーが生じ、当時はアフロヘアーという現在では絶滅スタイルを取り入れ、誤魔化しの一手で貫こうを思っていたら、還暦でも変化なく、天パもそのまんま。
最大多数の僕への質問
これに尽きます、受ける質問「センセーは特別な肌の手入れか、特殊なクスリを使ってるんでしょ?」。鉄板、鉄板トークとはこのこと。メリットですよ、花王のメリット!!!!!。つま先から髪の毛までオールインクルーシブ、コレコレ。